こんにちは。
一社)日本アート教育振興会の河野です。
アダムにはなぜ、へそがあるのか?
美術館の人気者といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》や、
ゴッホの《ひまわり》などが思い浮かぶかもしれません。
では、彫刻界のアイドルといえば???
ミケランジェロの《ダビデ像》や《ピエタ》、
そして
《アダムの創造》に描かれたアダムもかなりの人気者ですよね!
この《アダムの創造》、
バチカンのシスティーナ礼拝堂の天井にある壮大なフレスコ画の一部で、神がアダムに命を吹き込む瞬間を描いています。
指と指が触れそうで触れない、あの有名なポーズですね。
美術の教科書やポストカードなどで見かけたことがある方も多いのではないでしょうか。
ところでこのアダム、じっくり見てみると……
なんと。お腹に、しっかり「へそ」があるのです。
え? それの何が不思議なの???
ですよね。
私も最初、何も疑問に感じませんでした。
アダムは聖書によれば、「最初の人間」。
神によって直接、土の塵から創られた存在です。
つまり、彼には「母親」がいません。
もちろん、生まれてきたわけではなく、創られたのです。
ならば……
へそは不要なはず。
へそは、生まれてくるときにへその緒で母親とつながっていた名残。
だから、アダムには、理論的にはへそがあるはずがないのです。
それでもなお、アダムにはへそがある。
この事実、
実は西洋美術史のなかで、
密かな論争を巻き起こしてきたのです。
ミケランジェロが《アダムの創造》を描いたのは16世紀初頭。
宗教改革前のローマ・カトリック全盛の時代でした。
当時の芸術は、神の物語を視覚的に伝える「教育装置」の役割を持っていました。
文字が読めない人にも、聖書の内容をわかりやすく伝えるためです。
だからこそ、宗教的な正確さはとても重要でした。
神学者のなかには、
「アダムにへそがあってはならない」
と主張する人もいたといいます。
なぜなら、へそがあると
「母親がいたこと」になってしまい、
「神がアダムを直接創った」という教義と矛盾してしまうからです。
しかし、芸術家たちは違う視点を持っていました。
「へそがなければ、人間に見えないじゃないか!」
これはとても素朴で、しかし真っ当な主張です。
いくら宗教画でも、人物が人間らしくなければ、観る人の心を打ちません。
リアリズム、つまり「人間を人間らしく描く」ことは、
当時の芸術において大きな潮流となっていたのです。
そしてミケランジェロは、完璧な人体を描くことに命を懸けた芸術家でした。
彼は解剖学に熱心に取り組み、
何十体もの遺体を観察して、
人間の骨格や筋肉の構造を学びました。
そんな彼が「へそ」を描かないはずがないのです。
結果、アダムは「完璧な人体」として描かれた。
そして、へそはその一部だったのです。
◆想像力で「正しさ」を超える
私たちは普段「正しさ」をとても大事にします。
歴史的に正しいか?
論理的に正しいか?
科学的に正しいか?
もちろん、それはとても大切なことです。
でも、芸術にはもうひとつの「正しさ」があります。
それは、「伝わる」こと。
もしアダムにへそがなかったら、
私たちは彼を「人間」と感じられたでしょうか?
どこか宇宙人のように思えて、心がつながらなかったかもしれません。
ミケランジェロは、神学と科学のあいだで悩んだかもしれません。
それでも彼は、「へそ」を描いた。
なぜならそれが、「命のある人間」としてのリアリティを生むから。
彼は、へその有無ではなく、
「いのちの一瞬」を伝えることを選んだのです。
芸術とは、そういうところに宿るものなのかもしれません。
私たちは日々、目に見える「正しさ」や「常識」に囲まれて生きています。
でも、そこから少しはみ出したところにこそ、
「人間らしさ」や「ぬくもり」があるのかもしれません。
ミケランジェロはアダムに「へそ」を描きましたが
もしあなたが“アダム”を描くなら、へそを描きますか?
正しさにとらわれない絵画の鑑賞がここにあります。
あなたも1度、そんなふうに絵を見てみるのも面白いかもしれません。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。