こんにちは
一社)日本アート教育振興会の三尾(みお)です。
今日は、部分ではなく、全体を見る、、、、
というお話なのですが、
部分最適とか、全体最適とかって聞いたことありますよね。
よく使われるのは、部分にフォーカスし、最適化しようとすると、全体が見えていないので、全体としてはチグハグになる、、、みたいな。
ビジネスシーンではよくあるのではないかと思います。
教育においても似たようなことは
起こっているのではないでしょうか。
これは子供教育だけでなく、社員の教育についても同じだと思います。
「ここができてないから、直せ」
「あなたのこの部分が良くない」
「もっとここをこうせよ」
言い回しはたくさんあると思いますが、似たようなことが子育てや、人材教育の場でも飛び交ってるのではないでしょうか。
でもそれをいったからって、どんどんその相手が良くなるかっていったらそうでもないことが多いのではないでしょうか。
ではなぜそれがおこるのかということを僕なりに考えてみますと、それは、「部分最適」を求めすぎているからではないかと思っています。
人間って誰しもが、相手の「できない部分」「ダメな部分(ダメに見えてしまう部分)」に目が行きがちです。
もっというと、自分のそういうところにも目が行きがちです。
そしてそれはほとんどの場合、全体感を見て最適化しようとしているのではなく、そのダメだと思えてしまう部分だけにフォーカスしてそこが本質だと勘違いしてそこばかり指摘してしまいます。
でも特に人間の場合、それをやると逆に、どんどんその本人は「できない理由やダメな理由」ばかりを探すようになり、落ち込むだけで建設的ではないような気がします。
ないもの探し、 ないものねだりをしてる場合が多い気がするんです。
ですから、それよりも、
もっとその相手の全体を
見て、「あるもの」「持ってるもの」を見たほうがいいと思います。
そしてそこに光を当ててあげるほうが、その本人もやる気になって、ダメだと思えてしまう部分だって気にならなくなっていきますし、そんなことは大したことではない、と思えるようになっていくと思います。
特に子どもはそうだと思います。
もっと「あるもの」「持ってるもの」「できてること」に光を当ててあげたほうが本人は、うちに秘めた無限の力をぐわ〜っと自ら湧き立たせ、主体的になり、前へ前へと進んでいくと思うんです。
いつものことですが、これは僕自身の教育に対する戒めでもあります。
ちなみに、これは結構いろんなことで言える
んじゃないかと思います。
例えば、僕は空手をやってたことがあるのですが、空手でも同じでした。
僕が教えていただいた空手の先生はまさに心技体がそろったとてもすごい方で、僕はかなりその先生の影響を受けているのですが、
当時、その先生に教えていただいた、なるほど!とおもったすごい技があって、
それは、
部分にフォーカスするんじゃなくて、
全体をボワーンと見る。
ということ。
空手の練習には組み手というものがあります。
ボクシングでいえば、スパーリングです。
相手と戦う練習なのですが、
初心者だった僕は、怖いですから、
どこからパンチが飛んでくるのか、
と、相手の腕を凝視し、
どこからハイキックがとんでくるのか、
と、相手の足の動きを凝視し、
どこから膝蹴りが入ってくるのか、
と、相手の膝の動きを凝視し、
いつぶん投げられるのか、
と、つかまれた手を凝視し、
と、
恐れるあまり、部分部分をこまかく警戒していたんですね。
すると、面白いくらいにボコボコにやられてしまっていたんです。
これはなぜかといえば、
あまりに部分にフォーカスしすぎて、体もガチガチになり、でてきた相手の技に対して反応が遅れてしまうんですね。
そうすると、相手の出したフェイントにまんまとひっかかり一連のコンビネーションでボコボコにされてしまうんです。
そこで先生が教えてくださったのは、
部分にフォーカスするんじゃなくて、
全体をボワーンと見る。
ということだったんです。
すると驚くほど、それまでよりも相手から出される技が見えるようになったんです。
つまりそれによって、相手の繰り出す技への反応が間に合うようになるんです。
あ、とはいえ、先生の技は早すぎて全く見えませんでしたけど。笑
この「全体をボワーンとみる」・・・
僕にとっては、目からウロコでした。
スッゲ〜!って感動したことを覚えています。
ただ、、、驚いたのはそれだけではないんです。
話はここからです。
実は今、僕、テニスを子供と一緒に習っているのですが、そのテニスの先生も同じことをおっしゃるんですね。
出てくる球ばかりを見るのではなく、
もっと全体でボワーンと見るんですよ
と。
それを聞いた瞬間、
え〜〜っ!
っと、大声で叫んでました。
まわりのテニスプレイヤーが迷惑そうに僕をみてました。
空手の先生と、テニスの先生はお友達じゃないですよ。
お互いに知らない方同士です。
このテニスの先生も元プロの方で、教え方が驚くほど上手でいつも勉強させてもらっているのですが、このテニスの先生も、ボールに追いつけない僕をみて、同じことをおっしゃる。
本質は同じなんだ〜と僕にとってはとても面白い発見だったんです。
そして同時にこうも思いました。
「あれ、これって子供に対しても、スタッフに対してもおなじじゃないの?」
「自分は、彼ら彼女らの部分ばかりにフォーカスしすぎているんじゃないのか?」
「もっとその人の人間全体をボワーンと見るようにしてあげたほうがいいんじゃないのか?」
と。
教育で人に接するシーンではとくに、
ついつい、できていない小さなことに目がいき、それを注意したり、それがその人の全てだと思いがちです。
完璧な人間なんていないのに、完璧な人間を作ろうとヤッキになってしまう。
自分だってできないことがたくさんあるのに、その自分ができないことは棚にあげ、相手に完璧を求めてしまう。
子供に対して普段かける言葉でもよくわかると思います。
「なんでこんなことができないの!」
「何度言えばわかるの!」
「あなたはどうしてそうなの!」
「あなたはいつもそう!」
「もっとこうしなさい!」
なんて言葉をかけてしまうことないですか?
こんな言葉ばかりになって気持ちがしずんだりすることないですか?
こういう言葉って、
言う方も嫌な気分になりますが、言われる方はもっと気持ちが沈んでいきますよね。
僕なんて、
子供に
「出したものは片付けようね!」
なんて言った直後に、奥さんに、
「良い加減このリビングに本を積どくのやめてよ!」
「いつ片付けるのっ!」
なんていわれてたりします。笑
もしかすると、お母さんをやってる方の中にも、子供に
「youtubeばかりみてないで、やることやりなさい!」
とか、
「そんなお菓子ばかり食べないの!」
とかって言いながら、
子供のいないとこでは、
「ワイドショーみながら、お菓子一袋たべちゃった〜」
って罪悪感を感じた経験がある方もいらっしゃるかもしれませんね。^^
あなたはそんなことはないかもしれないですけど。
そんなお話はさておき、お話を戻します。
じゃ、なんでこういう
あれしなさい、
これしなさい、
あれはするな、
これはするな、
といった言葉が多くなるかというと、先ほどからお伝えしています、、、
その子供や相手の
「部分にフォーカスしすぎている」
ということが大きな要因としてあるのではないかと思うんですね。
できない部分、失敗した部分に目がいってしまって、つい注意したくなってしまう。
でも本当は、その子やその人には、
できるようになったことや、その子、その人なりにやる気になって頑張ってる部分も、必ずたくさんありますよね。
できないほうの「部分」にフォーカスしすぎて、
できてる部分が見えなくなってしまっている、、、
ということがよくあるのではないかと思うんです。
できてないところを正すことで
できるところを増やしてあげよう、、、、
という親心、先生心かと思うのですが、
それをやればやるほど、子供はそちらのできない自分のイメージをもってしまって、
親や先生が望んでる方へはなかなか進んでいかない・・・。
じゃどうすれば良いのかといえば、
子供やその人を全体で見て、その中のできてる部分にもちゃんと目を向け、見つけてあげて、それに対しての適切な言葉を我々がちゃんとかけてあげるということが、とても重要になってくるんだと思うんですね。
それができるようになると、子どもの成長は加速します。
会社のスタッフも同じだと思います。
やらされ感ではなく、
どんどん自分からやろうとする
ようになっていきます。
人生は逆説的なことって多いですね。
ほとんどと言ってもいいかもしれません。
部分ばかりみるのではなく、
全体をボワーンと見る・・・
部分ばかりみるのではなく、
その子(人)の全体を見る・・・
その子(人)のすべてを尊重し、
対等に接する、、、
ということ。
この意識を持って子供(人)と接するかどうかで、子供(人)の反応はかなり変わってくると思います。
大人が子供(人)に対して、
上下関係を作り、
大人は教える人、
子どもは教わる人、
大人の言うことを
ちゃんと聞ける子は偉い子、
という「操作主義」的なスタンスをとれば、
大人は子供の全体がみえなくなり、できていない部分ばかりにフォーカスするようになって、注意ばかりするようになるでしょうし、
子どもは、大人が教育しようとか、何かをやらせようとして誘導していると感ずれば、強い拒否反応を示しますよね。
もちろん、そうなれば聞けるものも聞けない心理状態になります。
悪循環です。
ですから、今そういう状態にある、、、という方は、ぜひその子(人)の全体を見てあげてください。
できてる部分やすでに持ってるもの、すでにあるものにも目を向けてあげてください。
きっと子ども(相手)の目は輝きだし、子ども(相手)からエネルギーが滲み出てくるのを感じられるようになると思います。
もしも部分最適ばかりしているなと感じられるようでしたら、少し引いてみて全体最適も意識してみてください。
何か相手との関係も変わっていくことを感じられるかと思います。
ちなみに、
先生は教える人で、
子供は教わる人
という上下の構図ももはや薄れてきていますね。
北欧の教育なんてかなり前から、先生のことを先生と呼ばず、ファシリテーターやコーチと呼んでますもんね。
そこからも、これから必要な教育の形が見えてくるのではないでしょうか。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。