描かれた音楽たち シリーズ2〜ルノワール〜

こんにちは、
日本アート教育振興会の石川絵梨花です。

「音楽×美術」を軸に
3人のアーティストが持つ着眼点や表現を堪能する「描かれた音楽たち シリーズ」。

今日はシリーズの2人目として
ポール・ゴーガンを紹介していきます!

ゴーガンは一体「音楽」に何をみ出したのでしょうか?

ポール・ゴーガン(1848年6月7日~1903年5月8日)は
パリで生まれますが、革命の波が吹き荒れる中、
逃げるように一家で南米ペルーへ移り住むようになります。

1854年にペルーで市民戦争勃発を機に、母とともにフランスへ戻りました。

その後ゴーガンは商船の水先案内人の見習いとして世界中の海を巡りました!

そして兵役から戻ってからは、パリ証券取引所で株式仲買人として働き、
なんと実業家として成功をおさめたんです!

実はゴーガン、やり手ですね(笑)

しかしその生活もつかの間、1882年にパリの株式市場が大暴落。

その頃デンマーク人女性メット=ソフィー・ガッドと結婚し、
5人の子供に恵まれていたゴーガンは、
妻子を養うために画業を本業とすることを決意します。

なんと妻メットは地元であるコペンハーゲンに戻り、
ゴーガンも後を付いてフランスを離れます。

1885年にパリに戻った後は
姉マリーの支援で寄宿学校に行くことになります。

そして、その翌年にはブルターニュ地方のポン=タヴァンへ。

ゴーガンはブルターニュで自己の絵画を確立することになります。

当時、ゴーガンは親交のあったシュフネッケルに
こんな手紙を送っています。

ここには3人の地域特有の衣装を着た娘が輪になって
伝統的な踊りを踊っている様子が描かれています。

この情景についてゴーガン、こんなことを言っています!

木靴が花崗岩の大地に音を立てるとき、私は、絵画の中に探し求めている、
鈍い、こもった、力強い響きを聴く

つまりゴーガンは自身が絵画に求めるものをブルターニュの魅力のなかから
見出していたのではないでしょうか?

ゴーガンが見出した「野性的なもの、原始的なもの」は
まさに「鈍い、こもった、力強い響き」といえます!

そしてこの「音」への関心はゴーガンの中で、大きな主軸となっていきます。

ゴーガン《説教の後の幻影》1888年

「(《説教の後の幻影》は)私にとって、この絵に描かれている風景と闘いは、
説教を聞いた後で祈っている人々の想像の中にしか存在しないものだ」。

この言葉はゴーガンがゴッホに送った手紙の一部分です。

ゴーガンはこの頃、目に見ることのできない
「その地域に住む人々の素朴な心」を描こうとしました。

そして、タヒチにいくことで、
この「素朴な心」と「音」に関心が大きく花開くことになります。

ゴーガン《歌の家》1892 個人蔵

「夕方、村々の集団が草の上に座って、聖歌を一節ごとに交代で合唱する。
そして、これは夜通し続く。音楽が好きなものにとって、これは本当の饗宴だ。
[・・・・・]
タヒチの夜の静けさは、較べようもなく不思議だ。
静寂を乱す鳥の鳴き声ひとつ聴こえない。

時折、大きな乾いた木の葉が落ちるのだが、それは音という感じを与えない。

むしろ霊の触れ合いなのだ」。

タヒチで過ごし、そこに住む人々の生活をみていくなかで
ゴーガンは、タヒチの人々が「音楽」を楽しむ様子をとらえながらも、

ここでゴーガンが
「音楽」という創造されたメロディーでなく
自然の中で偶発的に発生する「音」に
原住民と自然(=霊)の信仰的なつながりを
見出していると言えます。

パリ市民の豊かさを「楽器」を用いて表現したルノワールに対し、
ゴーガンは、「音」から自然と人々の信仰心を見出し「見えないもの」を描こうとしました。

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