こんにちは。
一社)日本アート教育振興会の塚越です。
何年ぶりかに、ディズニーランドに行ってきました。
大学時代の友人と一緒に行ったのですが、
その日は平日にもかかわらず新しいエリアは大混雑!
2~3時間待ちが常に続き、
なかなか進まない列にうずうずしながらも
思い出話に花を咲かせ、あっという間の一日でした。
新しいエリアは初めてだったのですが、
足を踏み入れた瞬間、まるで映画の中に入り込んだような気分、、、!
細部まで作り込まれた空間に圧倒されました。
そんなとき、ある壁に描かれた
シルエットだけの隠れキャラクターに目がとまったのですが、
それを見ながら、外国人観光客のお子さんたちが、
こんなことを喋っていました。
「このキャラクター踊ってる!」
「しかも笑ってるみたい!」
・・・え?笑ってる?
表情は描いてないのに?
でも改めて見てみると、笑ってるように見えてくるんですよね。
子供たちの想像力は素敵だな~なんて思いながら
しばらくその空間に滞在していると、ふと気が付くことがあります。
こんなに膨大な空間の中でも、
こんなに小さなキャラクターまで目が行く。
これって、ディズニーランドという場所には
例えば隠れキャラクターとか、分かる人には分かる演出とか、
そういったものが隠されているはずだ!
そんな意識で周りを観察しているからですよね。
日常生活ではどうでしょうか?
目の前の人やもの、風景を“見てはいる”けれど、
どこか表面的だった事も多いかもしれません。
「これが”見る”ではなく、“観る”ということかもしれない」
そう思いました。
“見る”は、ただ情報を受け取ること。
でも“観る”は、
その対象に好奇心をもって向き合う姿勢、
そこから自分は何を受け取っているのかを探る気持ち、
そして焦らず時間をかけて観察すること。
そこには、想像する力や感じ取る力が必要です。
アートを観るときと、少し似ているかもしれません。
「何が描いてあるか」だけでなく、「何を感じたか」
「作者が伝えたかったことは何か」だけでなく、「私は何を受け取ったか」
目の前のものをただ“なんとなく消費”するのではなく、
その背景や意図、つくられた時間や空間まで思いを巡らせてみると、
同じものを見ていても、感じることがまったく違ってくるのだと思います。
こうした「観る力」は、きっと日常の中でも育てることができます。
ディズニーのような特別な場所だけでなく、
今日の空の色、街で見かけた子どもの表情、本の中の一行・・・
どこにでも、“観る力”の入口はあります。
子どもたちは、その力を本能的に持っているのかもしれません。
私たち大人も、もう一度その感性を取り戻してみませんか?
Ps.ディズニーに行くと必ず喉を痛めるのは、普段出ない声が出ているからなのでしょうか。
共感する方はいらっしゃいますか、、、?笑