こんにちは。
一社)日本アート教育振興会の塚越です。
「ホモ・サピエンスが生き残った理由のひとつは、
“存在しないもの”を信じられたからだ」
私がいつか読破したいと思っている書籍、
『サピエンス全史』
にこんな内容が出てきます。
人間は、現実に目に見えるものだけではなく、
未来や物語、信念や制度といった“フィクション”を共有できる唯一の生き物。
実体のないものを信じ、それをもとに社会や文化をつくってきたというのです。
この視点に出会ったとき、私は今、東京国立近代美術館で展覧会が開催されている、ヒルマ・アフ・クリントという画家のことを思い出しました。
彼女は1862年に生まれ、まだ抽象画という概念すら知られていなかった時代に、
「目に見えないものを描く」ことに挑んだ人物です。
彼女の描いたものは、具体的な対象ではありません。
感情や構造、目に見えない力のバランス、自然の背後にある“しくみ”のようなもの。
丸や線、階層的な構図や色のグラデーションで、それらを表現しようとしました。
そして彼女は自分の死後20年が過ぎるまで、作品を公開しないようにと願ったのです。
もしかしたら当時の時代背景などを踏まえて、
今公開しても理解されないかもしれない。でも後世なら、作品を通して伝えたいことがもっと届くかもしれない。
そんなふうに考えていたのかもしれません。
“見えないものを信じる自分”に忠実であろう。
そんな姿勢で作品を作り続けたヒルマ・アフ・クリントに、私は強く魅力を感じます。
目に見えないものを感じ取り、それを信じて手を伸ばす力。
見えないものを言葉にして仲間と共有する力。
それこそが、人間が本来持っている感性なのかもしれません。
ではこの力を、どうすれば育てたり、守ったりしていけるのでしょうか。
教育の場でも、日々そんな問いに出会うかもしれません。
子どもが
「なんとなく、これやりたい!」
「なんかイヤ!でもなんでかはわかんない」
と言ったとき、
私たちはどこまで『未完成なままの思い』と一緒にいてあげられるでしょうか。
すぐに意味や理由を求めず、「そうなんだね」とそのまま受けとめること。
それが、子どもが“まだ言葉にならないもの”とつながり続ける力になるのかもしれません。
目に見える結果よりも、まだ形になっていないことに目を向けること。
それは、表現にも、教育にも、きっと共通する大切な視点なのだと思います。
それでは今日はこの辺で。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。