なぜ私はアートが「好き」?

今日は東京国立博物館(トーハク)が見える
上野のスターバックスで執筆しようと思って、いつもより早起きをしてきました!

そしてふと、
トーハクを見ながら、思ったんです。

「私の一番好きな画家って誰だろう」

・サンドロ・ボッティチェッリ
・グスタフ・クリムト
・オディオン・ルドン
・クロード・モネ
・イケムラレイコ
・アンリ・マティス
・ラウル・デュフィ
・アンリ・ルソー
・塩田千晴

などなど、
考え出したらキリがありません。

今日は、ゆるりと「好きになった理由」について
アールグレイラテを片手に、
そしてトーハクを眺めながら考えてみたいと思います。

 

<「好き」について考える>

美術作品に限らず、「好きだ!」と感じることが多々あると思います。

・人に対して(家族、友人、大切な人、推しなど)
・物事に対して(雑貨、ファッションなど)
・状況に対して(リラックスできる空間など)

そして、この「好き」のベクトルも違いますよね。

私、ディズニーも大好きで、
よく非日常をエンジョイしにパークにいきます!

ディズニーも、美術も「非日常」という点では同じです。

でも、同じ非日常が味わえるディズニーと美術でも
「好き」という天秤にかけることはできません。

それはきっと、
それぞれに「求めているものが違うから」だと私は思っています。

<「好きなこと」に対して何を期待するのか>

ディズニーが好きだなと思う時、それはパークに行く時や映画を見た時なのですが、 
その時は決まって「元気・夢・勇気が欲しい時」と言えます。

もしかしたら、もっと多くのことを
無意識的に思っているかもしれませんが、

それでも「ポジティブな気持ちになりたい」と思っている時、
それが満たされたことで「好きだ」と感じているんだと思います。

私はきっと「ディズニーが好きだ」と感じる時のように、
「ポジティブな気持ちになりたい」という思いだけで
「美術」を求めているわけではないんだとうな、と思います。

<私が、美術に求めていること>

・新しい境地を開拓したい時
・社会的問題に対する美術的アプローチを知りたい時
・美術に関する知的好奇心を満たしたい時
・多様性を味わいたい時
・美術の「いま」を知りたい時

いま、思いつく限りを列挙してみましたが
これらを書き出している中で、気づいたことがあります。

私が美術に対して求めているもの。

それは「答えのない混沌とした自由」かもしれません。

◆いま、自分の頭にある「枠」から解放されたい。
◆頭の中にある「既存」を壊したい。
◆論理的に説明できない何かを味わいたい。

そんな気持ちに美術はいつも答えてくれます。

<作品が持つ混沌とした自由さ>

美術は、作品自体に内在するパワーを
鑑賞者に伝えながらも、「ある種の余白」があると言えます。

この「余白」があることで、自身の頭の中、もしくは同じ作品をみている人同士で
「矛盾」や「説明できない何か」が生まれるのです。

つまり、私たち鑑賞者はつねに
「何にも縛られない自由な想像」をすることができると言えます。

作品は、作者の分身ではありません。
作品の解釈はつねに流動的で、自由で、混沌としています。

この「混沌とした自由さ」が、まさに私が美術に求めることで
美術は、つねに終わりなき「思考の渦」に私を連れて行ってくれる。

考えても考えても尽きることのない発見。
だから私は「美術が好き」

美術に限らず、 
あなたが「好きだ!」と感じるのはどんな時ですか?
そして「その好き」は、あなたにとってどんな存在ですか?

今日も最後までお読みくださりありがとうございました!

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