三尾 洋介  Yosuke Mio

代表理事

1977年生まれ。飛騨高山出身。 最近、山猿感が滲み出てきた。

大学卒業後、視野を広げるためオーストラリアへ。 そこで会った自由な人たちに影響され、芸人の道へ進む。そして、簡単に挫折。その後、日本中を行商としてあるく。社内では一番売っていたが、若さとノリで笑わせながら売っていたため限界を感じ追い込まれる。しかし相変わらずの強運に恵まれ、偶然の流れから人材開発や空間デザインのプロでもあり、”今日の日はさようなら”の生みの親でもある音楽家の金子詔一氏、愛新覚羅溥儀(中国ラストエンペラー)の甥である画家 王昭氏に出逢い、アート関連事業を始めるきっかけを得る。勝手に金子詔一氏を師事する。金子氏からは弟子と認められたことも望まれたこともないが、金子氏から学ばせていただいた思想、行動、ユーモアの質と量は計り知れない。アート関連事業をはじめると他の画家や音楽家の方々とのご縁も生まれ、作品販売から、アート講座事業へも展開する。協会アワード2013ではその教材開発力が認められ、教材開発部門賞を受賞している。講座のプロモーションをアーティスト個人のプロモーションにつなげるビジネスモデルを実践し、アーティストにはテレビ取材も多く入り、1回の個展で数百万円の作品販売に至ったケースもあった。現在は、より多くのアートを広め、アーティスト達を支援するため、一般社団法人 日本彫紙アート協会を譲渡し、新たに一般社団法人 日本アート教育振興会を設立し代表理事を務める。様々なアーティストやプロフェッショナルの人達と協力し、デッサン、写真、画力など、アート系、クリエイティブ系講座などを展開。趣味は、息子とサッカー、テニスをすること。レストランや喫茶店に行くと、真冬でも真夏でもテラス席に行きたがるためいつも迷惑がられている。

中田 真由美  Mayumi Nakata

Director

1985年生まれ。東京都出身。長野在住。

出会った「素敵」なモノ・コト・ヒトをつなげて広げるため、歌声アーティストとして、全国で活動の場を広げている。
表現の追求と芸術に身を捧げて生きることに幸せを感じ、作詞作曲はもちろん、朗読物語や絵本づくりなども手掛け、ライブパフォーマンスでは、その場のあらゆる「声」を楽しむ即興なども作品に取り入れている。
2020年、長く住んだ東京から拠点を長野県に移し、自然の命を感じながら創作を続ける。
自らが主催するアートプロジェクトでは、アートに携わる表現者や食・文化との音楽コラボ企画などで、地域おこしなどもおこなっている。生きていくうえで大切にしていることは【おもいやり】。
JEARAでは、受講生のみなさんや、アーティスト講師のみなさんとの出会いに日々刺激をもらいながら、人としても成長できる環境に在る喜びを栄養にしている。

河野 恵梨子  Eriko Kono

生まれ 東京は上野、ちゃきちゃきの江戸っ子
武蔵野美術大学 芸術文化学科卒業

小さいころから絵を描くのが好きで美術部から美大へ進学。大学時代は四国、徳島県神山町で行う造形ワークショップに学生生活の大半を捧げ、そのほかの時間は学校の一番奥、一番隅っこのアトリエにこもる日々を過ごす。
出産を機にアートや社会から離れていたがやはりアートと関わって生きていきたい、、、そんな思いから今の仕事をスタート。
キャンプやモノづくりが大好きで、週末は息子たちと山で焚火三昧。河野家のキャンプは薪集めから始まるのが流儀らしい。「薪は買いません!それがこだわりです」というのが口癖。
春に胸を躍らせ、夏の賑やかさを大満喫、秋はやっぱり食欲で、冬の匂いを胸いっぱいに満たす。四季折々の雰囲気を全身で感じながら今週末はどこへ行こう?2人の元気すぎる息子たちと共に、たくさん怒って、たくさん泣いてそれ以上に笑える人生をおくろう・・・そのために毎日もがき続けている。

小曽川 香澄  Kasumi Kosogawa  

愛知県生まれ。

小さなころからおしゃべりで、おかげで一つ年の離れた弟は3歳まで言葉を話さなかったという。おしゃべり好きが高じてか、高校時代のアルバイトから接客業にのめり込む。接客販売・営業を行うこと20年。アパレルや携帯業界を経て出来上がったのは、時代と環境の変化をとにかく楽しむという性格。「逆境を楽しむ」がモットー。人生の中でおしゃべりが先行してしまったが、幼少期に絵画教室に通ったり、カメラマンを目指していた時代があり、あの頃の憧憬からJEARAの扉をたたいた。ここでの自分は常に一歩踏み出す受講生のみなさんの一番のサポーターでありたいと思っている。
休日は美術館、劇場、ライブハウスによく足を運び、新しい刺激を受けたり、推しに癒されている。くるくる変わるカラフルヘアーがトレードマーク。今はそこまでおしゃべりではないと本人は言っているがどうだろうか。

浅野 朱音  Akane Asano  

1997年生まれ。岐阜県出身。
愛知県立芸術大学 美術学部 美術科 彫刻専攻 学部卒
同大学美術研究科 彫刻領域(修士)1年間在籍 

幼少期からいつも家や学校で絵、イラストを描いている少女だった。 高校で彫刻を専攻したことがきっかけとなり、彫刻作品の面白さに目覚め、彫刻の世界に没入していく。 作品を制作するための技術はもちろんのこと、立体作品については設置するにあたっての空間の使い方、作品を置いた後の風景と作品との兼ね合いなども造詣が深い。 作品は陶器や磁器に使う土を造形し焼き、立体作品を制作することを得意とする。 今でも絵を描くことが大好きで、デッサンも大好物。最近は作品制作と同じくらいNetflixを見る時間も増えている。 人生のモットーは、今までの経験を生かして、素敵に生きていくこと。 最近は歌を歌うことも趣味に加わった。好きなものこそ上手なれども、上手いとは言えず…
まずは楽しむところから!と自分に言い聞かせている。

尾﨑由唯 Yui Ozaki  

沖縄県生まれ、大阪出身。現在は、プラハ(チェコ)在住。
京都精華大学デザイン学部 卒業
プラハ工芸美術大学ファインアート学部 修了(チェコ)

沖縄生まれのためか暑さに強いが、寒さに弱くプラハの冬は凍えながら過ごし、大阪で育ったためかクローゼットの中には、アニマル柄の服が溢れている。大学卒業後、社会人を経てチェコの映画、絵本に魅了されプラハの大学院へ留学。
ジェンダーやセクシャリティーをテーマとしたトピックを扱い制作、発表。社会的なタブーを笑いに変えられるようなキッチュでコミカルな作品作りを目指して目下奮闘中。「なんとかなる精神」で生きてきた為、考えるよりまずは、行動派。やってみてから後悔するので失敗したことも数知れず…その失敗が生かされているのかどうかは、まだ分からないが敬愛するチャップリンの名言である「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」をいつも心に留めている。

ノダー佐代子  Sayoko Nodder  

高知県出身、イギリス在住。

アート好きが高じてJEARAに入社。最近はカメラを持ち歩くようになり、毎日の何気ない一瞬一瞬を撮っている。若き頃は、フランス映画が好きという理由だけでフランス留学を果たす等、フットワークの軽さが自信。また坂本龍馬が大好きで、「時勢に応じて自分を変革しろ」という言葉に共感を感じ、常に変化を求めるのは自身の癖。「さて次はどこへ行こうか」と旅路においても、また人生においても模索を続ける三児の母。

岡田 友莉奈 Yurina Okada

東京都、江戸川区出身。。
女子美術大学 ヒーリング表現領域 卒業
同大学大学院博士前期課程 ヒーリング研究領域 修了

あだ名はジャパン、今年で呼ばれて7年目。改名できない域に達してきた。正月明けに購入したハンティングジャケットを着て、手ぶら生活を行いたいが、あんまりにも寒くていまだに日の目を浴びず……。春になってハンティングを着た、どや顔のチビがいたらそれは確実にジャパン。

黒田 愛美  Ami Kuroda

1992年、愛知県生まれ。東京都在住。
愛知県立芸術大学 美術学部・デザイン・工芸科・デザイン専攻 卒業

スポーツ少女だった小中学校時代から一変、「なんだか楽しそう!」と気軽な気持ちで高校選択時にデザイン科を選ぶ。卒業制作展を観て感銘を受け愛知県立芸術大学に入りたいと思い、進学する。自分の知らない価値観に触れ、感じていたいため散歩から長距離の旅まで、移動して観察することが好き。この頃は縄文に魅せられ、縄文を巡る旅をしながら、理想の住まい先を検討している。

奥出 理人  Masato Okude  

1999年 横浜生まれ横浜育ち。
東京農業大学  地域環境科学部 造園科学科 卒業

大学時代はコロナ禍の影響で、ほとんどの時間を家で過ごす。
ステイホーム期間中に「何か始めないと」と思い、料理や楽器を始めるも続かなかったが、部屋の掃除をしている時に、夕日に照らされ輝いていた父親の一眼レフが目に止まり、「これだ…」と胸をときめかす。
そこから生活の一部に写真が組み込まれる。内気で目立ちたがり屋の自分に写真はピッタリだと盲信している。
「他人に優しく。自分に優しく。」をモットーに、平和な空間を作りたい。

金子 桜 Sakura Kaneko  

東京都中野区生まれ。1975年11月、秋生まれの桜。 

10歳の時に静岡の学校へ転校。それは人生初の異文化体験となり、地域や学校による風習や教育の違いに幼いながらショックを受ける。同時に、環境による人間の差に興味を抱き始める。
両親の事業の関係で、幼い頃から家には様々な国籍の人が行き交い、時には同じ家に住み込む環境で育ち、徐々に国による考え方や行動の違いにも興味を持つようになる。
大学では心理学を学びながら、日本語講師養成講座に通い、日本語教授法を学ぶ。修了後、メキシコ、フィリピン、アメリカなど、様々な国籍の生徒が入り混じるクラスを担当。卒業論文は自分の生徒を被検者に、文化への関心度と言語習得成果の関係について研究する。
大学卒業後、多民族・多文化国家であるオーストラリアに渡り、2年ほどの期間、少し学び、大いに遊ぶ。そこでの様々な国籍の人との関りから得たショックや経験は、自分の今までの発想や行動の枠を外す大きな経験となる。
オーストラリアからの帰国後、グローバル企業の人材育成プログラムを行う企業に勤め、プログラムコーディネーターとしてオーストラリア、アメリカ、カナダなどをまわり、現地でのプログラム手配や教材制作を担当する。
31歳で起業し、実践からマーケティングを学ぶ。2011年には、それまでの教育事業での経験やマーケティングスキルを活かし、一般社団法人 日本アート教育振興会の立ち上げに参加し、今に至る。
現在は、一児の母として、親の目線から教育を考える。
プロフィール写真は7歳の息子が撮影。
仕事や子育てに奮闘していても、キューバ音楽、サルサへの愛は忘れない。