こんにちは。
一社)日本アート教育振興会の河野です。
今回のメルマガでは、
西洋と日本、それぞれに視点を当てて
「顔の描き方」について
2回に分けてご紹介します。
前編では、
西洋における「肖像画文化」について、
お届けします!
西洋の肖像画文化の源流は、
実は
古代エジプトにあります。
エジプトでは第1中間期(紀元前21世紀頃)からすでに、
死者の顔に麻布やパピルスを貼り、
石膏で覆って彩色を施す葬送習慣が存在しました。
しかし、私たちが今日「肖像画」として認識する
リアリズムに富んだ表現
が広がったのは、
エジプトが古代ローマ帝国の属州となった
紀元前1世紀以降なんです。
この時代、ファイユーム地方を中心に、
棺の上に故人の顔をリアルに
描く「ミイラ肖像画」が発展しました。

木の板に蜜蝋絵具で描かれたこれらの肖像は、
死後の世界でも「自分」で
あることを保とうとする
アイデンティティの視覚的証明でした。
この「顔を通じて自分を記録する文化」は、
のちの西洋肖像画へとつながっていきました。
時代が下ってルネサンス期になると、
キリスト教中心の世界観のなかに
「人間中心の思想」が芽生え、
貴族や宗教者、市民階級の人々が
自らの姿を画家に描かせるようになります。
彼らが肖像画に託したのは、
「私はここにいた」
「私はこれほどの人物である」
という自己の証明でした。
単なる似顔絵ではなく、
地位や人格、名誉といった
“目に見えない要素”
をも視覚化することが目的
だったのです。
たとえば《マリア・テレジアの肖像》には、
金の刺繍が施されたドレス、
背景の円柱、
手元の王冠や笏(しゃく)などが描かれています。

それぞれのモチーフには明確な象徴的意味があります。
・柱=不動の権威
・赤いカーテン=格式と威厳
・書物=知性と教養
・犬=忠誠
・手袋=支配力・洗練
ちなみに、マリア・テレジアの肖像画は
あまりにも数が多く、
何点存在するか正確にはわからない
ほどです。
国家元首としてだけでなく、
母として、
女主人として、
そして「ハプスブルク家の顔」として、
彼女はその生涯を通じてあらゆる場面で描かれ続けました。
それはまさに、
肖像画が“生きた記録”であることを示す好例です。
少し横道にそれると
肖像画にはもう一つのユニークな系譜もあります。
同じハプスブルク家のために描かれた作品として紹介したいのが
ジュゼッペ・アルチンボルドによる、
果物や書物などを組み合わせて顔をかたどった作品群です。

野菜や果物、魚、花などを組み合わせて
人の顔を形づくる彼の絵は、
ユーモラスである一方、
構成要素のすべてが
豊穣や四季、交易、知識などを象徴し、
ハプスブルク帝国の繁栄をたたえる内容
になっています。
「我が家(王朝)には自然・知・富がすべてそろっている」
と暗に語って
いるのです。
閑話休題
西洋の肖像画に独特の重厚感とリアリティを与えたのは、
油彩技法の発展です。
肌の艶や布の質感、
背景の光の加減まで丁寧に描写され、
「この人物は確かに実在した」
という説得力が
絵に宿りました。
また、これらの作品は
時間をかけて仕上げられた一点物であり、
家系の“記録”や“誇り”
として
代々受け継がれる存在でもありました。
中世ヨーロッパでは、
神に仕えることが人間の役割とされ、
個人の姿を描くことは長らく慎まれていました。
しかしルネサンス以降、
「人間中心」の価値観が広がることで、
ひとりひとりが“かけがえのない存在”として
捉えられるようになります。
こうして、人々は自らの名前や身分、
人生観をも含めて
「顔」を描かせるようになりました。
肖像画に映る表情や視線、
身につける装飾品や背景に至るまで、
すべてが「私とは誰か」を表しています。
その人にしかない顔、
その人にしかない物語を、
絵というかたちで後世に残す試みでした。
一方で、明日ご紹介する江戸時代の浮世絵は、
まったく異なる発想から「顔」を描いています。
浮世絵に描かれる人物は、
驚くほど似通った顔立ちをしています。
そこにあるのは「この人が誰か」よりも、
「どんな役柄か」
「どんな魅力を備えているか」
を伝えるための“型”の美学。
たとえば西洋の肖像画が、
その人自身を映す鏡
のようなものだとしたら、
浮世絵は、
みんなが「いいね」と思える理想の姿を演じる舞台
だったのかもしれません。
それぞれの文化が求めた“顔の役割”を、
どうぞ次回の記事でお楽しみください。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました!