テンペラ vs 油彩――絵の具が変えた美術の歴史


こんにちは。

一社)日本アート教育振興会の河野です。

あなたも美術館へ行くと
テンペラや油彩の名画を目にする機会は多いと思います。

けれど、その絵の具で実際に絵を描いたことがある方は、
実は意外と少ないのではないでしょうか。

テンペラも油彩も、
表面上は「どちらも絵の具」のように見えますが、

いざ自分で筆を持ってみると、

思っていた以上に
まったく違う感覚になることに気づきます。

 

私自身も、
学生時代初めてテンペラ技法で
名画の模写に挑戦した時

テンペラの特徴にかなり驚かされました。

お恥ずかしながら・・・河野初めての模写 「アダムの創造 部分」

 

乾くのが想像以上に早く、
色を重ねるにも慎重さが必要で

絵の具が全然伸びない。

混色も難しく、思ったように描けない。。。



少しでも迷うとやり直しがきかず、

一筆一筆に多くの神経を使い、
ずいぶん苦労した記憶があります。

それまで教会や美術館で
「きれいだな」と眺めていたテンペラ画の背景に、

どれだけの技術と計画性があるのかを実感した瞬間でした。

 

 乾き方、色の混ざり方、塗り重ねのしやすさ、修正の難しさ…。

同じ「絵を描く」でも、使う絵の具が変わると、

描き方そのものが全く別のものになるのです。

 

今回は、そんなテンペラと油彩の世界を素材の違いからじっくり見ていきましょう!

 

■テンペラ絵の具

テンペラは、
卵黄を媒材にして顔料を練り合わせた絵の具です。

紀元前から存在し、
中世ヨーロッパでは
最も主要な技法でした。

ビザンティン美術のイコンや、
イタリア初期ルネサンスの宗教画において
テンペラは欠かせません。

たとえばボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》は、テンペラの代表的傑作です。

テンペラは薄く均一に塗り重ねることで、
柔らかな光沢と透けるような透明感が出せます。 

しかしその一方で
ぼかし・厚塗り・混色が難しく、
計画性と高い技術を要する絵具
でもあります。

先ほどもお伝えしましたが
乾きが速いため、失敗すればやり直しが効かず、
一筆一筆が真剣勝負なんです。

そのため、特にテンペラで大きな壁画を描くのは非常に大変です。

一度塗るとすぐに固まってしまうので、
あらかじめ細かく計画を立てて、
慎重に少しずつ描いていく必要があります。


乾くスピードに合わせながら段取りよく作業を進めなければならず、
職人たちの集中力と計画力が作品にそのまま表れていると言えます。

イタリアの修道院や聖堂に今も残るテンペラの壁画は、
まさにその努力のたまものです。

 

そして15世紀後半になると、

油彩がヨーロッパ各地に広まり始めました。

けれどボッティチェリは、
油彩が普及し始めた時代でも、
生涯テンペラで描き続けました

その理由は、ボッティチェリが大切にしていた絵の特徴にあります。

・線の美しさをとても大事にしていた

・澄んだ色面をきっぱりと整理したい

・静かで象徴的な神話・宗教の世界を描きたい

テンペラは、
こうした
明るく澄んだ色と、はっきりした輪郭線
表現するのにとても向いていました。

油彩のようなぼかしではなく、
線と平面で理想の世界を組み上げる

《ヴィーナスの誕生》《春》
に漂う静かな美しさは、
まさにテンペラだからこそ生まれた表現と言えます。

サンドロ・ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」

 

■ 油絵具

一方、北ヨーロッパ(フランドル地方)では
油彩が大きく発展していました。

ヤン・ファン・エイクらが完成させた油彩の技法は、柔らかな陰影・奥行きのある色・厚みのある描写

可能にしていました。

この北方の油彩技法をイタリアに伝えたのが、
アントネロ・ダ・メッシーナです。


彼は北ヨーロッパの油彩の技術を学び、
イタリアに持ち帰って広めました。

アントネロの作品は、
北方の写実性とイタリアの美しさを組み合わせた新しいスタイルになり、

これがきっかけとなって、
ダ・ヴィンチやティツィアーノたちの油彩表現へとつながっていきます。

アントネッロ・ダ・メッシーナ作「円柱のキリスト」

油彩の最大の特徴は、
乾燥の遅さによる柔軟な操作性にあります。

・ぼかしやグラデーションが自在にできる

・重ね塗りや修正が可能

・厚塗りによる質感の変化

・グレーズ(透明な重ね塗り)で深い光の層を作る

ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》に見られる柔らかな頬のぼかし

レンブラントの光と影の表現
フェルメールの室内に差し込む柔らかな光

どれも油彩だからこそ実現できた表現です。

テンペラと油彩の違いは、
絵の具そのものに留まりません。

描く土台(支持体)の違い
も、
美術の世界観を左右しました。

テンペラは、ポプラやリンデンなどの木製パネルに描かれます。

板に石膏下地(ジェッソ)を塗り、
滑らかに整えた上に何層もテンペラを塗り重ねるのです。

板は保存性が高い一方で、
大型化や移動には不向きで、
宗教施設の中に静かに飾られることが多かったのも特徴です。

油彩の普及とともに、布(キャンバス)
支持体として急速に広がりました。

軽量で大型化しやすく、
持ち運びもしやすいキャンバスは、
作品サイズや表現構成を自由に広げる新たな可能性を画家たちに与えました。

現代でもテンペラと油彩は使われ続けています。

どちらも「伝統技法」としてではなく、
むしろ
表現の選択肢として意識的に選ばれる時代です。

テンペラは、
透明感や神秘性、静けさを生かした細密画や象徴的表現に好まれ、

油彩は、
柔らかな重なりや厚み、偶然性のニュアンスまで活かせる柔軟な絵具として
多様な表現に用いられています。

素材の違いは、
そのまま「どんな世界を描きたいか」という考え方に直結している
のです。

美術館で作品を眺めるとき、
技法の違いまで少し意識してみるだけで、
これまで何となく眺めていた絵が、
細かな表情や違いまで見えてくるようになります。

そうやって観察が深まると、
作品そのものがより豊かに感じられてきます。

絵の具の違いを知ることは、
その入口のひとつにすぎません。

そこから少しずつ、
先入観を持たずに一枚の絵を丁寧に観察する
「フラットな観察眼」が育っていくのです。

こうしてフラットな観察眼が少しずつ育っていくと、
作品を見る面白さだけでなく、
人と作品について語り合う時間もどんどん豊かになっていきます。

誰かが気づいた細かな色の重なり、
自分は見落としてい
た筆致の揺らぎ、

同じ作品でも感じ取ることは人それぞれ違います。

けれど、そこに正解・不正解はありません。


互いの「見え方」を持ち寄りながら語り合う時間こそが、
鑑賞の深まりをつくってくれるのだと思います。

長くなりましたが

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

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