こんにちは。
一社)日本アート教育振興会の窪田です。
皆さんは、
当たり前だと思っていたものがひっくり返った
そんな経験はありますか?
私にとってそれは、
幼いころの宝物だったシーグラスが、
実はゴミだと知った瞬間
です。
浜辺で拾った、波に洗われて角が丸くなった緑や青のガラス片。
それを、地元の奄美大島では「シーグラス」と呼んでいました。
(調べてみると、「ビーチグラス」とも言うそうですね)
そんなシーグラスが、実はただの漂流物で
ゴミだと知ったとき。
私は少しショックを受けて
それから、とてもワクワクしたことを覚えています。
「それ、割れたビンのゴミだよ」
ある時、本土から遊びに来ていた従妹が
私の手のひらにのったシーグラスを見て、怪訝そうに言いました。
「きれいだね」と言ってもらいたくて持ってきたものが、
実はただのゴミだったという事実に
最初は衝撃を受けました。
そして不思議なことに
(ただのビンが、こんなにきれいに削れるなんて
逆に希少で、すごいことなんじゃないか)
そんな気持ちが沸いてきて
私は、シーグラスを以前にも増して美しく感じるようになりました。
モノの価値や意味は、見方ひとつで大きく変わる。
「ゴミ=汚いもの」という常識がひっくり返ったこの体験は、
私にとっての大きな気づきとなりました。
こんな風に、価値や意味、正しさは
見方ひとつで簡単に変わることがあります。
では、正しさとは何でしょうか?
私たちはどこでそれを測っているのでしょうか?
そう考えると、
「知識を得ること」や「
背景を知ること」は
何かを決めつけるための武器ではなく
自分の見方がどこから来ていたのかに気づくための
道具であると感じています。
私たちが実践している対話型アート鑑賞でも
作品の見え方は人それぞれです。
ある人には美しく、ある人には
不気味に。
ある人には悲しく、ある人には
優しく。
その違いを知る中で、誰かの意見に揺さぶられたり
逆に、自分の見方がよりくっきりしてきたりします。
そうやって、一つの正解を求めるのではなく
異なる視点を持ち寄って対話することで
私たちの理解や
見方が、広がっていくのだと考えています。
私たちの周りには、たくさんの「当たり前」があります。
それらは本当に、当たり前なのでしょうか?
別の角度から見た時、どんな新しい発見が待っているのでしょうか?
いつもの日々を、違う視点で見る。
それは、これまで気づかなかった思いがけない宝物に出会う。
そんな一つのきっかけに繋がると実感しています。