こんにちは。
一社)日本アート教育振興会の塚越です。
以前、ポッドキャストの収録をしていたときのこと。
収録中に、こんな言葉をかけてもらいました。
「早恵さんって、状況を俯瞰して見る力がありますよね。」
そのときは「そうかな?」と照れ笑いをしつつ、
自分のことって客観的にみれないものだなあ、、、と感じました。
自覚が無かったものの、
もし私が<俯瞰して状況をみること>が得意なのだとしたら、
この感覚は、いつから育ってきたんだろう?と
今日は振り返ってみたいと思います。
—–
あなたもぜひ、ご自身の幼少期を振り返って、
今の自分が作られてきた歴史に
目を向けてみてください。
—–
ふと思い出したのは、子どもの頃の体験と、私の”名前”のこと。
私の名前には「ゑ」という字が入っています。
最近は見ることもほとんどないかもしれませんね。
小学生の時に、習ったような?習ってないような、、、?
この少し珍しい文字のおかげで、小さい頃からよく質問を受けていました。
「なんて読むの?」
「どうしてその字なの?」
「珍しいね!」
質問であればまだ良いのですが、
いじられ、からかわれ、もそれなりに。
「さゑ」という字をぱっと見て、
「サル?お猿さん?」
、、、言いたくなる小学生の気持ちはよくわかります(笑)!
何か言われるたびに、
子どもながらにちょっと傷ついたり、
読み方知らないなら仕方ないよね、と大人ぶってみたり。
あなたも子供の頃、
例えば容姿、学力、運動神経、画力などなど、、、
周りの人からの言葉で、心が傷ついた経験がありませんか?
子どもって正直だからこそ、時には残酷だなあと感じます。
自分の名前に対して色んな言葉を受けるたびに、
~
私の名前は変えられない
読めない相手が悪い
両親は何でこの名前にしたんだろう
笑わないでほしい
恥ずかしい
私は何も悪くない
~
いろんな感情が渦巻いていたことは、
いまでも覚えています。
思えば、この葛藤が「俯瞰して見る」感覚の、
最初の小さな芽だったのかなと思います。
色んな感情が渦巻きながら、
■自分の力でどうにかできること
□自分ではどうしようもないこと
■実際に起きた出来事
□そこから生まれた私の感情
■なぜ揶揄いたくなるのか?
□なぜ揶揄われたら嫌なのか?
曖昧なこの境界線を紐解くことを
やっていたように思います。
誰かの言葉をきっかけに、
自分を見つめたり、相手の気持ちを想像したり。
自分の中の「土台」や「軸」が強固になることで
「他者との違いを理解しようとする力」が育まれていきます。
それが「俯瞰して状況を捉える力」に繋がったのかもしれません。
成長は、特別な瞬間だけがつくるわけではなく、
日常の中に転がる小さな経験の積み重ねが、人を育てていく。
ふとした違和感や、人とのやりとりの中での小さな気づきが、
やがてその人らしい力として育っていくのかもしれません。
もしよかったら、
あなたの「今の自分をつくった小さな種」は何だったかな?
と、少しだけ振り返るきっかけになれば嬉しいです。
今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。