「無駄の美」という視点


こんにちは

一社)日本アート教育振興会の河野です。

新しい節目を迎えたり、日々の忙しさに追われたり―――

そんな日常をお過ごしの方も多いのではないでしょうか。

今日はそんなお忙しい日々を過ごされているあなたに、

ふと立ち止まって感じてほしいテーマについてお届けします。

それは、

「無駄の美」という考え方。

 

仕事、家事、育児、社会との関わり……現代を生きる私たちは、
つい「役に立つか」「意味があるか」で物事を判断しがちです。

 

けれど、その視点だけで世界を見ていると、
だんだんと心の余白が失われていくような感覚になりませんか?

 

アートは「無駄」からはじまる

たとえば、落ち葉を拾ってきて、ひとつずつ丁寧に模様を写し取るような制作。

誰にも気づかれないかもしれないし、完成までに何十時間もかかるかもしれない。

でもその時間と手間の中にこそ、

自分だけの
「見る目」や「触れる感覚」が宿っていく気がします。

 

あるいは、毎日同じ場所に行って、光の変化だけを記録し続けるような行為。


それが誰かにとっては「無意味」でも、そこには確かに「生きている時間」が映っている。

 

役に立たない。意味がない。利益を生まない。

 

そういった「無駄」は、
アートの中ではときに一番美しくて、
人の心に静かに届くものだったりします。

 

アートに限らず、音楽や文学、庭づくりや料理、子育てのなかにも、
意味は説明できないけれど、なぜか惹かれてしまうこと」って、ありますよね。

 

 

日本の文化にも、「無駄」を美として受け入れる感覚があります。

 

たとえば、庭園。
あえて“何もない”空間をつくる枯山水。

余白を大切にする書や水墨画。

使い込まれた器の欠けを金継ぎで直し、むしろ美しさとして愛でる茶の湯の世界。

 

それらはすべて、「完全でも完璧でもないものに、深い味わいがある」という美意識のあらわれです。

 

「必要最小限」を極めるミニマリズムとは、少し違います。

日本的な“無駄の美”は、余白や揺らぎ、あいまいさを尊ぶ感性
に根ざしているように思うのです。

 

「何もない」「やりすぎない」「ただ、そこにある」

 

それらが、なぜか心を落ち着かせ、日常にふっと風を通してくれるのです。

 

日常の中でも、
あえて「無駄な時間」を持つのは、実はとても贅沢なことです。

・ただ湯を沸かして、お茶を淹れて飲む

・散歩の途中で、道端の花に目をとめる

・意味もなく、空を見上げる

・ただ寝転がってボーっとする

 

どれも、成果には直結しません。

誰かの役に立つわけでもない。

 

でも、そういう時間があるからこそ、

心は整い、思考は自由になり、感性は解放されていくのだと思うのです。

 

心が整うのは、むしろ「無駄」の時間だったりするんですよね。

 

そしてアートは「意味がないこと」を肯定してくれる稀有な領域であり、だからこそ心を癒し、解放し、時には社会を変える力さえ持っているのだと感じます。

 

「無駄の美」とは、結局のところ、効率や成果では測れない“人間らしさ”なのだと思います。

 

役に立たないけど、心が動く。
意味がないけれど、なぜか惹かれてしまう。

誰にも見せるつもりはないけれど、自分の中で確かに生きている感覚。

 

そんな“無駄”の中にこそ、人生の彩りが宿っているのではないでしょうか。

無駄ととらえるのか余白ととらえるのか。
そのとらえ方次第でも大きく異なります。

 

あなたの部屋の中に、意味もなく飾ってある小物はありますか?

思い出のある石ころとか、旅先でふと買ってしまったポストカードとか、誰かにもらったよく分からない置物とか。

 

意味がないけど、なぜか心が動く。役に立たないけど、ずっとそばに置いておきたい。

アートに触れるということは、そんな無駄を受け入れること。

世界の中に、自分だけの「美しさ」を見つけることかもしれません。

 

この記事を読み終えたあと、何か一つ「無駄なこと」をしてみませんか?

 

目的のないスケッチ。
お気に入りのカップで淹れたコーヒーを、ただ静かに味わう時間。
部屋の片隅に、季節の枝や花をそっと飾ってみる。

 

その“無駄”は、誰のためでもなく、あなた自身の感性をいたわるためのものです。

「無駄の美」に心をゆるめてみる。
そんな時間が、あなたの毎日に、静かでやわらかな光を灯してくれかもしれません。


本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

 

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