ジャパンブルーの故郷はヨーロッパ?

おはようございます!
一社)日本アート教育振興会の河野です。

ジャパンブルー(Japan Blue)は
日本の伝統的な青色を指す言葉です。

実はジャパンブルーには2種類の青があるのです!!

知ってました??

一つ目は皆さんもよく知っている

「藍」

タデ科の植物から作られ、インディゴとも呼ばれています。

藍は有史以前から染色の原料として、豊かな日本の色を支えてきました。

「藍」は、深く澄んだ青色であり、凛とした美しさを持っています。

この色は、日本の美意識や自然の表現と受け止められており、日本の伝統的な美術や工芸品によく見られます。

しかし、この植物由来の藍は色あせが激しいのが特徴。

色褪せず、明るい青を出す鉱物由来の顔料は希少・高価であったため

なかなか取り入れることが難しいものでした。

そんな中、18世紀初頭、

ドイツ・ベルリンの染料業者が偶然にベロ藍を発見したのです。

発見された地名をとって「ベルリン藍」、省略して「ベロ藍」と呼ばれるようになります。

化学的な合成顔料で、日本には延享4(1747)年に初めて輸入されたと伝えられます。

これが二つ目のジャパンブルー

「ベロ藍」です。

伊藤若冲が『動植綵絵』の「群漁図(鯛)」

(1765年から1766年頃)のルリハタを描くのに用いたのが確認されている最初の使用例となります。

葛飾北斎と歌川広重は

この「ベロ藍」を積極的に取り入れ、

競うようにして、『東海道五十三次』や『冨嶽三十六景』を作成しました。

見たこともない鮮明な色合いに人々は熱狂し、ベロ藍で摺られた浮世絵は大流行したのです。

今でも洗練された青の濃淡に惹きつけらる方も多いのではないでしょうか。

このベロ藍は生まれはヨーロッパでも

日本独自の和紙と摺師の技によって

色の魅力が最大限に引き出されたのです。

偶然に生まれたベロ藍は、浮世絵の木版技術と出会ったことによってさらに美しい鮮やかな青として人々を魅了しました。

木版画の性質から油彩よりも鮮やかな発色をするため、

欧米ではフェルメール・ブルー(ラピスラズリ)になぞらえて

「ヒロシゲブルー」「ホクサイブルー」とも呼ばれています。

歌川広重の「ヒロシゲブルー」、そして葛飾北斎の「ホクサイブルー」は

19世紀後半のフランスに発した印象派の画家や、

アール・ヌーヴォーの芸術家らに影響を与えたとされ、

「ジャポニズム」旋風の 牽引役となったのです。

ゴッホの描いた「星月夜」

これもベロ藍、セルリアンブルーを使って描かれています。

ゴッホはジャポニズムの中でも特に浮世絵の色彩に影響を受けたと言われています。

「ジャパンブルー」は

「藍」による工芸品としての美しさと

「ベロ藍」による浮世絵の鮮やかさによって

世界で評価されるようになりました。

その美しい色調は、日本の文化や美意識を象徴するものとして、今でも世界中の人々に愛されています。

日本で評価されないから海外へいくと言う話も聞いたりしますが、

逆もまた多くあります。

私たちはもっと自分たちの国である、

日本の文化や伝統に胸を張って大事にしていきたいですね。

今日もお読みいただきありがとうございました。

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